株式会社カブトス代表のセツログ

常に上を見て、前へと進む社長の熱い想いがここにあります。

カブトスは元々はカブトズファクトリー、その前は現代美術東京カブトズから始まった。

壁画は約20年ほど前に、自分が美術大学の1年生の終わりから、渋谷のパルコの壁画を手伝う事からはじまった。

今でも涙なしには語れない、一ヶ月給料3万円。始発から終電まで。始まるときが始業タイムで終わる時や雨が降ったら休み。というとんでもない職場だった。

当時は一ヶ月に一回。クライアント→パルコ→現場スタッフみたいな感じで定期的に仕事があって、描いているときが宣伝みたいな感じでやっていた。自分の場合、ここの技術が欲しかったので、給料が安かろうが、蹴られようがどうってことはなかった。

img_2312-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc img_2313-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bcimg_2314-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bcimg_2315-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

当時はちょうど印刷技術の飛躍的な向上と、パソコンの普及で。外壁用のシートもクオリティー高いものが流通し。今時壁画?手描き?なんて感じで、たくさんの壁画屋さんとかが廃業していったのをみてきた。

ただし、パルコの技術はちょっと別格のように感じられ。

自分は、刷毛で描く超マットペイントに魅力を感じていた。

 

2〜3年もすると、かなり慣れてきて、自分の作品(現代美術的なもの)にも時間を割くようようになり。

仕事としての壁画。作品としての描画。を同時進行でやっていた。

その時に、アート作品として作ったのが「東京カブトズ」という、架空の野球チームで。

それを運営していくべく創設したのが壁画制作「カブトズファクトリー」だ。

大学で仕事とかもしてあいた期間はあるのですが・・・今から17年前くらいだろうか?

破滅的にお金がないくせに、プライドは今の数倍はあったような、面倒くさい若造だったに違いない。

そっからはもうくる仕事は全て!全国どこでも行きます!!みたいなノリで。多種多様な壁画や特殊塗装をこなしていく。

今はプロジェクト系の仕事ばかりになってしまったけれど。

あの頃は、下請け孫請け、個人邸、洋服、映画美術・・・・etc   空気と水以外の下地以外なら何でも描けるような気がしていた。

そんな感じで稼いだお金と。経験から。

自分のお店を持ちたい!と強く思うようになった。

資料にもならないくだらない仕事が多すぎたのと、相手が見えない仕事が嫌になった。

壁画屋になりたくて、僕は壁画を始めたんじゃないから。

そして作ったのが鵠沼海岸にある「KABUTOS cafe」だ。

街をもっと面白く!

何も考えずに勢いだけで始めた1号店。

次回、初めての開業は鵠沼海岸。始まりも今もノスタルジー編。

 

今、自分は不動産屋レタス不動産にいることや、それ関係の打合せに出向く事が多いのですが。

やはり自己紹介がてら、過去の壁画の資料を持ち出して熱く語ってしまったりします。

レタス不動産に来るともれなく、過去の熱烈話やこんな感じの作品集が見れたりします(笑

最近いつも一緒にいる 美大卒絵画科発の宅建士野田君はおそらく30回以上聴いていることでしょう。

まあいいでしょう。

せっかくワクワクする物件探しは、お互い理解や信頼から始めた方が面白い。と思っている。

img_2317img_2311img_2310

 

img_2309img_2306img_2305

 

img_2304img_2303img_2302

img_2301